古にならえば今に通ぜず

2009/03/01 11:19


【「世に棲む日日」(司馬遼太郎著)シリーズ(2)】

 吉田松陰が清の魏源の著作「聖武記附録」を読んだ時の一節です。

<<(これは佳句だ)
 とおもうことばがあったので、いそいで手帳にかきとめた。

  古にならえば今に通ぜず
  雅を択べば俗に諧わず

  *・・ならえばの「なら」は原文では「イ+方」。

 その意味は、
 「古学ばかりの世界に密着しすぎると、現今ただいまの課題がわからなくなる。また、格調の正しい学問ばかりやっていると、実際の世界のうごきにうとくなる」
 ということであり、これは松陰がかねておもっていたことをみごとに定則化したものであると思い、膝を打つおもいで感嘆した。松陰がおもうに、学問ばかりやっているのは腐れ儒者であり、もしくは専門馬鹿、または役たたずの物知りにすぎず、おのれを天下に役だてようとする者は、よろしく風のあらい世間に出てなまの現実をみなければならない。>>

 「ただいまの課題、実際の世界のうごき、なまの現実」だけしか語れない現代日本の浅薄な世相では逆に、「古学、学問」が重用されなければならないと吉田康人は思います。
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