江戸人は、法の運用上手である
2009/03/22 17:43
我が国法制度における「建て前」と「運用」との使い分けは江戸時代から既にあったものだとする司馬遼太郎の指摘は興味深いと思いました。
<<師匠が罪人になった以上は、その学問にも罪があるというのであろう。
もっとも、それは「たてまえ」である。
「たてまえ」ということには、説明が要る。江戸体制はむろん西欧風の法治国家ではなく、法はきわめて不備なものであったが、運用をうまくやることによって世の中が維持されていた。江戸人は、法の運用上手であるといっていい。このばあいも明倫館で山鹿流を学んでいる連中が、「たてまえ」をとる藩庁に対し、「おそれながら」という嘆願書を連名でさしだした。家元の吉田寅次郎は罪人になったが、従前どおり山鹿流を学ばせてほしい、ということである。藩庁では、
「嘆願のすじ、もっともである」
ということで、さしゆるした。「たてまえ」と「実情嘆願」というあいだで矛盾を調整してゆくというやりかたは、日本の法意識にぬけきれぬ習慣をつくり、明治後、法治国家になってからもそれはつづいた。>>
憲法問題に関する何かの書物で、20年ほど前かなぁ?、読んだことがあります。戦後我が国の「裏取引政治」の根源は「『憲法改正』を引っ込める代わりに『それ以外を自民党の言うとおりに認める』という自民党と社会党との55年体制での国対政治にある」という趣旨のことが書かれてあったと記憶しています。
これはまさしく、自民・社会両党の私利私欲や既得権益の配分の問題であって、司馬遼太郎が言う「矛盾の調整」という高尚な機能とは異なるような気がします。先の大戦後に、この国はおかしくなってしまったのでしょうか?。吉田康人は、明治維新に誤りがあったと考えていますが、司馬遼太郎の話をもっと聞いてみたいところです。
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