一君万民思想

2010/02/01 23:32


【「世に棲む日日」(司馬遼太郎著)シリーズ(13)】

 吉田松陰の激しい尊王思想が、下層出身者からなぜ支持をされ、また、彼らのエネルギーになったのか?。

<<山県太華は、松陰流のあのはげしい尊王思想をみとめなかった。

「毛利家の防長二国は天子からもらったものではなく、将軍からもらったものだ。毛利家が天子の家来であるというのは妄論もはなはだしい。あくまでも将軍の家来である」

 という現実的法解釈をとりづづけた。松陰はそれに対し、真っ向から対立した。

「毛利家は天子の臣である。防長二州はおろか天下の士民はみな天子の民である」

 という、山県太華からみれば大飛躍論を松陰はうちたてた。この松陰の天皇イデオロギーは、裏返すと人民イデオロギーになってゆく。日本国で神聖なものは天皇だけであるという思想は、天皇という神聖点を設定することによって将軍以下乞食にいたるまですべて日本国の人間は平等である、ということになってしまう。一君万民思想である。つきつめれば大名の存在を否定するところまで(松陰はそこまでゆかなかったが)行かざるをえない。封建体制下では、非常な危険思想であった。が、伊藤博文や山県有朋といった足軽やそれ以下の下層出身者にとってはこれほど魅力ある思想はなかった。

 −−京に天子あり。

 それ以外の浮世の権威はみとめぬということで、かれらが集団になったとき大エネルギーが湧いてくるのである>>。

 明治維新は果たして、吉田松陰の尊王思想を正しく受けつぐものであったのだでしょうか?。明治維新を再評価するにあたっての最大のポイントがここにあると思います。
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