「地域主権改革」の法的定義
2010/02/26 11:10
本日未明の「読売新聞(YOMIURI ONLINE)」によると、政府が「地域主権改革」の法的定義の原案をまとめたとのこと。同原案では次のように定義されるそうです。「憲法の理念の下に、住民に身近な行政は、地方公共団体が自主的かつ総合的に広く担うようにするとともに、地域住民が自らの判断と責任において地域の諸課題に取り組むことができるようにするための改革」。
何ともしっくりこない。何故か?。文法的に考えてみました(笑)。ポイントは、日常的に使われる日本語の最も曖昧な部分、「主語と述語との関係」にあると思います。
この一文をつくった政府の意図を汲むと構文をこうしたかったのだと推察します。
<<憲法の理念の下に、
@・・のようにするとともに、
A・・のようにする
ための改革>>
まず、根本的な問題として、これはこの定義文で表記するかどうか以前の問題ですが、「誰が」行う改革なのかが明確にされていません。それがないから「魂」が感じられません。すみません、これは「文法的」な問題ではなかった(笑)。
細かな問題ですが「文法的」にどこに問題があるかというと、本来は次のようにすべきだったのでしょう。
<<憲法の理念のもとに、
@「誰が(主語)」「どのようにする(述語)」とともに、
A「誰が(主語)」「どのようにする(述語)」
ための改革>>
つまり、原案を最大限活かすとすれば、
<<憲法の理念のもとに、
@地方公共団体が(、)住民に身近な行政を(、)自主的かつ総合的に広く(、)担うようにするとともに、
A地域住民が(、)地域の諸課題に(、)自らの判断と責任において(、)取り組むことができるようにする
ための改革>>
※(、)はすべてないのが良い。
となります。
冒頭の定義原案では、「住民に身近な行政は、」といきなり来ていてこれが「全体の主語」であるかのようなポジション(笑)を占めています。これも「しっくりこない」一因となっています。
原案を、政治家が自ら書いたのか、官僚が書いた文章に政治家が手を入れたのか、あるいは、官僚の作文の垂れながしなのか?、与りしりません。いずれにしても、文法的にはレベルが低い一文です。いずれにしても、どういうプロセスでこんな悪文になってしまったのか関心があります。
日本語の文法は単なる形式ではありません。「こういう風に書かないと『魂』が伝わらないよ」という日本古来の歴史と伝統に基づく先賢からのメッセージでもあります。「現行日本国憲法には日本人の魂がこもっていない」との批判がある問題とも無関係ではありません。
法をつくり、法に基づいて仕事をする人々には、「地域主権改革」の法的定義の原案が、国民、住民に「しっくり」(笑)理解され、また、魂がこもった一文になっているかどうか、しっかり検討していただきたいと願います。
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