雄渾

2010/01/29 08:34


【「世に棲む日日」(司馬遼太郎著)シリーズ(12)】

 吉田松陰と高杉晋作の戦略感覚の違いの一つを次の一節は端的に表しています。

<<(ならねばならぬのだ)

 というのが、松陰にはなかった晋作の独創の世界であり、天才としか言いようのないこの男の戦略感覚であった。敵の砲火のために人間の世の秩序も焼けくずれてしまう。すべてをうしなったとき、はじめて藩主以下のひとびとは「狂人」としての晋作の意見に耳をかたむけ、それに縋ろうとするにちがいない。

(事というのは、そこではじめて成せる。それまで待たねばならぬ)

 と、晋作はおもっている。それまでは、藩は敗戦の連続になる(いまは連戦連勝だが)にちがいない。そういう敗軍のときに出れば、敗戦の攻めをひっかぶる役になり、人々は晋作を救世主とはおもわなくなるだろう。ひとに救世主と思わさなければ何事もできないことを、晋作はよく知っていた。ついでながら、長州人のなかで、晋作ほどこの藩を愛した者もいないが、反面、晋作ほどこの藩がこれから辿るべき悲惨な運命を、火を見るような瞭らかさで予見していた男もすくない。さらに予見しつつもそれを冷酷にながめようとしていた男は、かれのほか皆無であった。かれが英雄とか天才といわれる存在であるとすれば、かれがやったかずかずの奇策などにそれがあるのではなく、この雄渾というほかないような心胆にあるらしい>>。

 まちづくりにおいて、まちづくりを批判したり『冷酷にながめ』ている志士に対して「あいつはまちのことを愛しているのか?」と浅薄な評価をする向きがあります。高槻にだってその向きがある。それは全く違う。晋作を見ても明らかなように、「国やまちを愛する心」と「その国やまちの政治・行政・まちづくりを批判しその先行きを憂い予見すること」とは何ら矛盾しません。

 しかし、晋作の言葉を借りれば、「ならねばならぬ」と耐えつつ、国とまちを愛し、批判し、憂うことが暫く必要かもしれません。
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